09.23
Tue
前回の記事、「ネオソクラティックダイアログ」のワークショップから着想を得て。
先日のアドベンチャー教育フェスティバルで、あるセッションを担当しました。
そのセッションは、宮城アドベンチャープログラムを代表して遠藤先生が担当するもので、遠藤先生から「いっしょにやりませんか」とお声掛けいただいたものです。
震災があって、もともと関係の深い宮城県に何かできないかと始まったバンブーリジリエンスプログラムのことをからめて、いっしょに創ろうというお誘い。とてもうれしくお受けしました。
(バンブーリジリエンスについて;「2014年6月宮城」 http://andy0203.blog.fc2.com/blog-entry-30.html)
PAJからフェスに参加できる、ゆきとてつと僕、そして遠藤先生の4人でプログラムを考えました。
ミーティングの中で、遠藤先生のおもい、宮城の現状、宮城アドベンチャープログラムの歩みを聞いて、4人でたくさん話をして、「参加してくれる人たちと、私たちが問いかけたいこととを、どうやってつないだらいいか」ということに頭を悩ませました。
宮城で進めていこうととしている、「心の復興支援事業」。
PAJとジムショーエル、宮城の人たちとでつくってきた、「バンブーリジリエンス」。
これらのことと、参加してくれる人たちの“現実”を、どんなふうにつなげていったらよいのか。
そうやって考え抜いて、こんなプログラムができました。
----------------------------------------------------------------------------------
それぞれが経験した「一番苦しかったクラス」を思い出し、できるだけ詳細に記述する。
3人のグループでそれぞれがその体験について語り、共有する。
その中で、いちばん深めたいものを一つ選び、聞きあって深める。(みんなが体験したことのように)
その経験から、一人ひとりの「ふんばれる、立ち戻れる」を支えられる集団の要素、について考える。
----------------------------------------------------------------------------------
具体的な経験から、普遍的な気づきを紡ぎだす。
そんなことに挑戦してみることにしたのです。書いてみると簡単なことのようですが、4人で考え、捉え方をすり合わせ、プログラムとして成立するように練り上げました。
着想は、前回紹介したワークショップ。
しかし、これでいこうと思えたのは、遠藤先生の真剣さと、これまで宮城で僕たちがやれてこれたことを信じたいという気持ちからでした。
簡単に聞けるようなことでもないし、簡単に話せるような内容でもない。
でも、だからこそ、僕たちが迫りたい「心の復興」や「リジリエンス」に迫る道筋が見えるのではないか。
90分のセッションで、できることが限れているし、もっとこうすればと思うこともたくさんありました。
個別から普遍へいたる道はありそうだと思えるし、個別から始めることで、そこにいる人の存在がみえない対話や議論にはなりえないと思えます。
どのグループの対話も、となりでずっと聞いていたいと思えるものでした。
何を持って「体験」というのか、とても難しいけれど、その人の存在が関与していることで、「体験」学習だと言えるのではないかなと思います。
私に今起こっていることとして目の前のことを捉えることで起こる学び、です。
寄り道しましたが(いい寄り道だったぜー)、次は最近受けた方の哲学対話ワークショップについて書きます。
アンディ
先日のアドベンチャー教育フェスティバルで、あるセッションを担当しました。
そのセッションは、宮城アドベンチャープログラムを代表して遠藤先生が担当するもので、遠藤先生から「いっしょにやりませんか」とお声掛けいただいたものです。
震災があって、もともと関係の深い宮城県に何かできないかと始まったバンブーリジリエンスプログラムのことをからめて、いっしょに創ろうというお誘い。とてもうれしくお受けしました。
(バンブーリジリエンスについて;「2014年6月宮城」 http://andy0203.blog.fc2.com/blog-entry-30.html)
PAJからフェスに参加できる、ゆきとてつと僕、そして遠藤先生の4人でプログラムを考えました。
ミーティングの中で、遠藤先生のおもい、宮城の現状、宮城アドベンチャープログラムの歩みを聞いて、4人でたくさん話をして、「参加してくれる人たちと、私たちが問いかけたいこととを、どうやってつないだらいいか」ということに頭を悩ませました。
宮城で進めていこうととしている、「心の復興支援事業」。
PAJとジムショーエル、宮城の人たちとでつくってきた、「バンブーリジリエンス」。
これらのことと、参加してくれる人たちの“現実”を、どんなふうにつなげていったらよいのか。
そうやって考え抜いて、こんなプログラムができました。
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それぞれが経験した「一番苦しかったクラス」を思い出し、できるだけ詳細に記述する。
3人のグループでそれぞれがその体験について語り、共有する。
その中で、いちばん深めたいものを一つ選び、聞きあって深める。(みんなが体験したことのように)
その経験から、一人ひとりの「ふんばれる、立ち戻れる」を支えられる集団の要素、について考える。
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具体的な経験から、普遍的な気づきを紡ぎだす。
そんなことに挑戦してみることにしたのです。書いてみると簡単なことのようですが、4人で考え、捉え方をすり合わせ、プログラムとして成立するように練り上げました。
着想は、前回紹介したワークショップ。
しかし、これでいこうと思えたのは、遠藤先生の真剣さと、これまで宮城で僕たちがやれてこれたことを信じたいという気持ちからでした。
簡単に聞けるようなことでもないし、簡単に話せるような内容でもない。
でも、だからこそ、僕たちが迫りたい「心の復興」や「リジリエンス」に迫る道筋が見えるのではないか。
90分のセッションで、できることが限れているし、もっとこうすればと思うこともたくさんありました。
個別から普遍へいたる道はありそうだと思えるし、個別から始めることで、そこにいる人の存在がみえない対話や議論にはなりえないと思えます。
どのグループの対話も、となりでずっと聞いていたいと思えるものでした。
何を持って「体験」というのか、とても難しいけれど、その人の存在が関与していることで、「体験」学習だと言えるのではないかなと思います。
私に今起こっていることとして目の前のことを捉えることで起こる学び、です。
寄り道しましたが(いい寄り道だったぜー)、次は最近受けた方の哲学対話ワークショップについて書きます。
アンディ
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