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05.06
Tue
言葉としてのメッセージと、それとは異なるレベルで発せられるメタメッセージのズレは、受けとる人をいら立たせたり不安にさせたりします。はっきりとそう認識できなくても、漠然とした不信感を抱かせてしまうものだと思うのです。

メタメッセージとは、「メッセージについてのメッセージ」とか、「非言語的なメッセージ」などと説明されます。
例えば、大きな失敗をしてしまってそのことを謝りにいったら「私がいろんな人に頭を下げればいいだけだから、大丈夫よ」と言われたとします。言語的なメッセージとしては「大丈夫よ」という励まし。でも、その時のふるまい、言葉のトーンなどから「あなたのせいで、私はいろんな人に頭を下げないといけないのよ」というメッセージについての注意書きとも言えるメタメッセージが同時に発せられる場合があるのです。

そんなに強烈なズレではなくても、PAプログラムの中での自分のふるまいを思い出すと、そのような場面が思い当たってしまいます。
「今の状態がグループにとってどうなのか考えてほしい」と遠回しに今の状態を否定するような言い方をしたり、「正解とか間違いはないから、思ったことを話したらいいよ」と言いながら、自分のほしい言葉ばかりに「うんうん、そうだよねえ」と過剰に承認したり。。。


日常的にも、そのような場面ってたくさんあるはずです。
昔、母親に言われた「好きにしなさい!!」って、絶対好きにはできないですよね。笑


ベイトソンは「ダブルバインド」という考え方によって、精神分裂病(統合失調症)の説明を試みました。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89)

ダブルバインドの例は、とてもわかりやすいものがあったので、お借りします。(以下引用)
頑張って勉強する子供に対して母が「勉強ばっかりして面白みのない子だね」と皮肉る。勉強をやめてピアノを弾き始めたら「親に言われたからって勉強を止めたりしてまったく自主性のない子だね」と言う。母親は子供に対してダブルバインドをしています。(http://okwave.jp/qa/q1057555.html)

ここで言う、ダブルバインドほどの引き裂かれ感はなくても、(言語的な)メッセージとメタメッセージのズレは、お互いの信頼感をじゃますものだと思います。

言語的なメッセージの陰からにじむように、隠しきれない要求や感情的な揺れがメッセージの受けとり手に伝わる。そのときにこわいなあと思うのは、メッセージの出し手と受けとり手がそのことに気づかずに、知らず知らず影響してしまっていることです。


自分のメタメッセージに自覚的にいることって、すごく難しいことです。
だから、いつでも自分のメタメッセージに敏感でいたい。
つい言外ににじませてしまうくらいなら、言葉で伝えてもいい。
「アンディはこうしてほしいんだなあ、って思われるような人でいたくないんだ。」と受けとられるかもしれないメタメッセージを先に言葉で伝えるようなことです。

そしていつか、わざわざ言葉で伝えなくても、言葉(メッセージ)とあり方(メタメッセージ)が自然でシンプルに重なった人になりたいなあと思っています。

とてもとても大切にしていることだから、いい例(失敗例?)があったら、また報告しますね!

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