「声はことばとして意味(メッセージ)を載せるが、同時にそれ自身の肌理をもっている。その肌理が意味とは別なかたちで他者にふれる。」
鷲田清一さんは、声は語りにおいて意味を越えた力を持つ、と言います。
語り言葉と書き言葉の違いを感じることはたくさんありますが、「声」はこの最たるものです。
誰かの声に、心地よかったり悪かったり、安心したり、なんだか落ち着かない気持ちになったりします。それは、強弱とかトーンとか、そういうものではなくて、声そのものの肌ざわりのようなものです。
「ことばが届く人」には、声で触れられているような感覚があります。
こればっかりは、学んだりトレーニングしたりできるようなものではないのだけれど、声には肌ざわりがあって、それは言葉の意味とは別のところで、聞く人に触れるものだということを、知っていようと思います。
(引用部分はP235)
鷲田清一さんは、声は語りにおいて意味を越えた力を持つ、と言います。
語り言葉と書き言葉の違いを感じることはたくさんありますが、「声」はこの最たるものです。
誰かの声に、心地よかったり悪かったり、安心したり、なんだか落ち着かない気持ちになったりします。それは、強弱とかトーンとか、そういうものではなくて、声そのものの肌ざわりのようなものです。
「ことばが届く人」には、声で触れられているような感覚があります。
こればっかりは、学んだりトレーニングしたりできるようなものではないのだけれど、声には肌ざわりがあって、それは言葉の意味とは別のところで、聞く人に触れるものだということを、知っていようと思います。
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