プログラムを組み立てる時は、何に向かって組み立てるかという意図があります。こうなるといいなあとか、こういう体験を準備したいなあとか、時にはこのことを学んでほしいなあとか。
でも、迷います。
ついつい、自分の意図に引き寄せすぎてはいないか、意図から外れたことを見過ごしたり、無視したりしてはいないか。
以前、内田樹さんがブログだかツイッターだかで、講演をする前にはノートをまとめるのだけれど、それはノートにまとめたことを話さないためにやっているのだ、というようなことを話していました。
それは、単にまとめたことを話さないということではなく、整理しておくことで、壇上で沸く自分でも想像していなかった話や、聴衆とのやりとりの中で生まれる話に開かれるためなのだと受け取っています。
ぼくも、そんなふうに意図していたい。
ややこしいけれど、意図しないことに開かれるために意図を持っていたいです。
でも、迷います。
ついつい、自分の意図に引き寄せすぎてはいないか、意図から外れたことを見過ごしたり、無視したりしてはいないか。
以前、内田樹さんがブログだかツイッターだかで、講演をする前にはノートをまとめるのだけれど、それはノートにまとめたことを話さないためにやっているのだ、というようなことを話していました。
それは、単にまとめたことを話さないということではなく、整理しておくことで、壇上で沸く自分でも想像していなかった話や、聴衆とのやりとりの中で生まれる話に開かれるためなのだと受け取っています。
ぼくも、そんなふうに意図していたい。
ややこしいけれど、意図しないことに開かれるために意図を持っていたいです。
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