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07.14
Mon
人の本棚ってつい眺めてしまいます。
自分の本棚って、見られるとなんだか恥ずかしい。。

20131013.jpg  ←うちの本棚の上半分

「本棚」をテーマに、おしゃべりしたり、なんならワークショップもできそう。
自分の家の本棚を写真に取ってきて、こだわりとか並べ方とかを話したり、
みんなで本棚をつくったり。写真から、誰の本棚かをみんなで推理したり。

いちばん笑える本とか、いちばん昔に買った本、いちばんらしくない本。
そういえば最近、誰かの家に遊びに行ったりしてないなあ。
「だれかの本棚」って企画、おもしろそう。

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07.13
Sun
3年前ですが、「ちいさな哲学者たち」という映画を見ました。
フランスの幼稚園での「てつがくの授業」を追いかけたドキュメンタリー。

ちいさな哲学者たち [DVD]ちいさな哲学者たち [DVD]
(2012/02/24)
ジャック・プレヴェール幼稚園の園児たち、先生たち

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まず、映像がきれい。
その時のメモを読み返すと、こんなシーンのことを書き残していました。

「かしこいって?」というテーマで場がもたれた時、ある女の子が急に、
「○○はいつも気取っているの。赤いコートなんて着て。」
と話し始めました。テーマと関係がないし、特定の子を非難しているようにも受け取れる話しぶり。
先生は、しばらく話を聞いていて、こう尋ねました。
「そうなのね。今の話は、“かしこい”ってことと、どんなふうに関係するかしら」
すると、女の子は
「お兄ちゃんが、気取っているやつはバカだって。」
女の子の中では、「かしこい」ということと「バカだ」ということが結びついていて、話が始まったようなのです。
そこから、「かしこいって?」ということについての対話が始まっていきます。

もちろん、先の話のように、どの子からも自分にあった出来事や、自分にとっての話ばかりが話されます。その無秩序な散らばりが、先生の質問やコメントによって、秩序のある散らばりに変わっていっているような印象を受けました。


その後、少し調べてみると、「P4C;Philosophy for Children」として、子どものための哲学というカリキュラムがあるそう。体験教育とも相性がいいはず、と学んでみたいなあと思っています。
なかなか機会が合わず、まだ直接学べてはいないのですが、今月の26日、27日に、哲学対話の方法論を学ぶワークショップに参加してきます。これまでも、日程が合わなかったワークショップなので、とても楽しみです。
(カフェフィロ:http://www.cafephilo.jp/)

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07.12
Sat
昼には昼を語るための文体があり、

夜には夜を語るための文体がある。

昼のことばで夜は描けないし、

夜のことばは昼を描きたくもないはずだ。

さて、その境界線にわたしはいる。

おやすみなさい。

(糸井重里『ボールのようなことば。』より)


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07.10
Thu
一昨年の本になるのですが、印象深かったこの本。

わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)
(2012/12/17)
平田オリザ

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「ランダムをプログラミングする」という章があります。
ぼくはプログラムを組み立てるときに、「非構成の気づきをどう構成するか?」ということを考えます。
これって、体験教育のとっても大切な論点。難しいんです。
構成しすぎて通り一遍の体験にしかならないこともあるし、構成しなさすぎて「これでよかったのか」と不安になることも。

できるだけ「変化のある繰り返し」を準備して、誤差のように学びや気づきが生まれるのを待とう。
そう思いながら、どんなふうに「変化のある繰り返し」を組み立てるか、
いたるところで生まれる「誤差」に気づけるか、
その経験知を、言葉にできるか。

先は長いのです。。

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07.09
Wed
ふりかえりの質問には「枠をつける質問」と「枠をこわす質問」という、ひとつの分け方があると考えています。
「枠をつける質問」とは、質問された人の思考のプロセスをガイドし、言語化するのを助ける質問。

例えば、
「どんなことがあった?その時どんなふうに感じてた?」
「それって、グループの何が表れていたのかなあ?」
「じゃあ、そのことって次の活動にはどんなふうにつなげられそう?」
起こったことを追体験しながら、そのことから気づきや学びを引き出せるよう、思考の歩幅が広くないような質問をテンポよく投げかけていきます。

または、
「今の活動について、“リーダとフォロワー”ということについて、どんなふうに感じる?」
「さっきの活動が終わってみんなで話をした時に“共通理解”というキーワードが出ていたけれど、今の活動ではどうだった?」
<何について>考えたり話したりすればよいのか、という枠組みを渡すことで、ふりかえりやすくします。

多くの場合は、この「枠をつける質問」を投げかけます。言葉にするのは簡単ではないし、早まってしまうと言葉だけがぽかんと浮かんだふりかえりになってしまうので、出来事やその時の気持ちが言葉に乗っかるように、小さな歩幅で進んでいきます。


でもそれだけではなく、「枠をこわす質問」というのがあります。
「枠をこわす質問」とは、「うーん、そんなこと考えたこともなかったなあ」とか、「なるほど、うまく言葉にならないけれど(考えた先に)何かありそう」と思考の枠組みがばんっと広がる(こわれる)ような質問です。

アーロンというPA Inc.のスタッフのプログラム帯同した時のこと。
ジャイアントシーソーというエレメントを使って活動をして、一通りそこでの出来事をふりかえったあと、
「みんなは、これまで(の人生で)どんな時にバランスのことを考えた?」
と問いかけました。
「うーん…」とうなる参加者。でもこの「うーん…」は、みんながぐっと考え込んでいる、うーん。活動の中で、身体を通してバランスをとるということや、集団のバランスということが体感されているからこそ、「うーん…」とうなれる。
しかも、こういう「枠をこわす質問」って、問いかける相手の中に自分も含まれていると思うんです。ファシリテーター自身も、「うーん…」と考える。

08-01@15-43-42-557_R.jpg



今度は自分の事例。
タイムトライアルの(達成するまでの時間を縮めていく)活動はよく、「できるだけ早いタイムを出してください」というインストラクションで始めます。
そのふりかえりで、「今の活動は達成だったと思いますか?それとも、達成していないと思いますか?」と尋ねたことがあります。
ある人は、「タイムがどんどん縮まっていって、思ってもみないタイムが出たから達成だと思う」と言い、ある人は「でも、最後の一回でミスしてしまった。あのミスがなければもっと早いタイムが出ていたかもしれないから、達成していないと思う」と言いました。また、「『できるだけ早いタイム』だから、今のタイムでも達成でしょ」と言う人もいました。
それぞれが持っている「達成する」という概念が刺激されて、そこから目標設定についてのふりかえりが深まっていきました。


書きながら、はっきり区別できていないような気もするけど。。
でも、「枠をつける質問」はこれからも上手になりつつ、やっぱり「枠をこわす質問」ができるファシリテーターになりたいと思います。

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07.08
Tue
少し前になりますが、名古屋大学の中谷先生の勉強会に参加してきました。
テーマは「ピアラーニング-学び合いの教育心理学の理論と実践」。

ピアラーニングを構成する諸理論として、
①学習のリソースとしてのピア;学業的援助要請
②比べ合う相手としてのピア;社会的比較
③教え合う仲間としてのピア;相互教授法

から始まり、
・ピアラーニングと動機づけ
・自己調整学習の視点からみたピア・ラーニング
・ピアラーニングにおける教師の役割

などの話を聞かせていただきました。
話を聞きながら、

ピアラーニングの中でこそ起こる学びって、どんな学びか?
「ほんとにそうか?」という探究。わからないもの同士が答えをみつけようとするなかで、また新しい問いまでもみつけられること、ではないか。

そんなことを考えました。せっかく、グループと一人ひとりの作用について関われる場にいるのだから、臨床的にピア(グループ)で学ぶということの価値や効果を探していこうと思います。


ピア・ラーニング: 学びあいの心理学ピア・ラーニング: 学びあいの心理学
(2013/08/26)
不明

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07.07
Mon
こんな問いかけをしてみた。
こんな道具を、こんなふうに使ってみた。
こんなやりとりが聞けて、いい時間だった。

「ふりかえり」の周辺の出来事を、書いてみようと思います。
タイトルは「今日のふりかえり」です。

第一回は土曜日の、おとなの人たちとのプログラムでのこと。


*いつもの自分とつながる問いかけ
TPシャッフルという、丸太のうえで落ちないように並び変わる活動でのこと。
難しくない設定で遊んだあと、こんな課題に取り組んでみました。

TPクラス作り2013DSC00648(写真は当日のものではありません)

「普段の自分を思い浮かべながら聞いてみてください。話すのと聞くのでいうと、どちらかと言えば話すほうが好きだ、得意だ、話す役割を担うことが多いですか?それとも、聞くほうが好きだ、得意だ、聞く役割を担うことが多いですか?」
「いつもの自分とは違う特性に取り組んでみると、見える何かがあるかもしれません。普段、話すほうが好きだ得意だ、トいう人は『話すことはできない、でも見ることはできる』という役割で、普段聞くほうが好きだ得意だ、という人は『話すことはできる、でも見ることはできない』という役割で、課題にトライしてみてください。」

なかなか、難しい課題です。時間はかかったけれど、試行錯誤のすえの達成。活動中の出来事をふりかえって、次の活動に持っていけるキーワードを挙げたあと、こんなふうに問いかけました。

「(いつもとは違う役割で)活動をしていた自分と普段の自分、どんなふうに関係していますか?」

この時は特に言葉にしてもらわずに、問いだけを渡して休憩に入りました。
みんな、どんなことを考えていたのだろう。


*カードを使って一日をふりかえる

全ての活動が終わって一日をふりかえるとき、「フルバリューカード(写真)としるらないカード」(カードのことはまた今度!)を並べて、こんなふうに話しました。

DSC05838.jpg

「実は、今日いちにちのことを、ブックレットにまとめたいという話があって。フィクションなんですけどね。笑
一人に一冊、自分にとっての出来事やそこで感じたことなどを小冊子にまとめてくれるということなんだけど、そのブックレットの表紙を、このカードから選んでみようと思います。写真でもイラストでもいいし、1枚でも2枚でもいい。自分だけのブックレットにぴったりのカードをみつけてみてください。」

「今日一日を表しているカードは?」とシンプルに聞くこともできるけれど、今日は少し物語の力をかりて。
それぞれに違う17のストーリーが聞けて、いい時間でした。


ふりかえりは、また次の始まりを内包しているものです。
「今日のふりかえり①」おわり。


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07.04
Fri
僕は、自分のことを、私と呼んだりおれと呼んだりする。

長らくは、「おい」と呼んできた。故郷のことばだ。
書くときには、僕について、ぼくと書いたりボクと書いたりもできる。

イチニンショウって、いつも迷う。どれもしっくりこない。
もしかしたら、おんなの人よりも、おとこの人の方が、そうなのかもしれない。

でも、もしかしたら、僕でいたいときには僕と呼べて、私として立ちたいときには私と呼べることは、いいことなのかもしれない。どれか一つの自分になる必要はなさそうだ。
今30歳の僕が言う「ぼく」と、あと10年、20年経った後の僕が言う「ぼく」とでは、その感じは全く違うだろう。

ずっとかわらない自分なんてものはないみたいだから、イチニンショウの惑いはずっと続くのかもしれない。

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07.03
Thu
6月27日(金)から29日(日)まで、宮城に行ってきました。
金曜日は南三陸や気仙沼を案内してもらい、土曜日曜は宮城の先生たちや地域の人たちと一緒に研修会。

震災が起こった年の10月から今回で6回目ですが、今回が一番リアリティがありました。
それは、「誰か」に起こったことが、僕にとっての「あなた」に起こったことに変わったのだろうと思います。
少しずつ、三人称から二人称に。

「バンブーリジリエンス」と呼んでいるこのプロジェクトは、コミュニティの癒しの力を引きだし、一人ひとりが持っている跳ね返るちからの発現を支えるための、プロジェクトアドベンチャーの活用を伝えています。
ジム・ショーエルさんが中心となって、PAJapanのスタッフといっしょにつくってきました。
(ジムさんのお話は、2014/3/28と2014/6/26の記事に少しだけ)

DSC05096_R.jpg


その中では、「バランス」が一つのコアコンセプトになっています。

「誰かといる」(所属)ということと「自分でいる/一人でいる」(孤独)ということとのバランス。
「信頼する」ということと「健全に疑う」ということとのバランス。
「手放す」ということと「受け入れる」ということとのバランス。

ジムは、「そのバランスを自分で選ぶことは、自分自身を自由にする」と言います。
そのレッスンを、アクティビティの中で繰り返すのだと。

こうやって宮城に来て、「バランス」という言葉を杖に震災やその後の出来事、また震災に関係なく私たちに日々起こっていることと向き合うと、つくづく「バランス」はとても動的なものだと感じます。
今は受け入れられているけれど、ある時にはどうしようも受け入れられなくなる。
みんなの中にいて力をもらっている時もあれば、一人きりでいたいときもある。
バランスのとれる一点をみつけることではなくて、動きつづけることで保たれるものがあるのだと思います。

ある先生が、「震災のことを話題にする機会がない」と話していました。
いろんなところに、被害(被害意識)の差があって、話すことをためらうという話も聞きました。
宮城で出会ってきた人たちが揺れながらバランスを探していく道程に、少しでも関われていたらいいなあと思います。
そしてそれは、そっくりそのまま反転して、僕がバランスを探していくための時間でもあります。
いろんな人に支えてもらいながら、自分のバランスを自分で選ぶレッスンを続けていきます。

s-20140627_171934.jpg
石巻の公園で。

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