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05.26
Mon
日曜日に、「アイスブレイク」をテーマにした講座を担当させていただきました。
今年で3年目の講座。
去年のふりかえりを踏まえて、今回大切にしたことは、
「アイスブレイク=盛りあがるゲーム、と受け取られないような伝え方」
でした。

人との関係の中での緊張感は人それぞれ違っていて、そのほどけ方もまちまちです。
身体を動かしたりわーっと盛りあがる中で人と関わる方が、関係がつくりやすいと言う人もいます。
おだやかにお互いのことを話す中で、ゆっくりと初対面の緊張感がほどけていく人もいます。

プロジェクトアドベンチャーの活動は、動き回ったり、声を出したりしながら、楽しさにまぎれて人と関われるものがたくさんあります。でも、それが「すべて」ではない。
楽しませないと、盛り上げないと、なんて思っていたら、やる方が緊張してしまいますよね。
そして、そんな「盛り上がりの強要」みたいなものについて行けない人も、あんがい少なくないと思うんです。


午前はいろんなアクティビティを体験しながら、ゲームを通したアイスブレイクを体感しました。午後に、「しるらないカード」(ぼくが企画して、あるスタッフと一緒につくったカード!)を使って、じっくりお互いのことを話す時間をとりました。
そのあと、午前の活動的なアイスブレイク、午後のじっくり対話のアイスブレイク、どちらが自分にとって心地いいですか?と問いかけてみると、3分の2が前者、3分の1が後者とのこと。そうやって、自分の感じ方と違う人が目の前にいるということが、アイスブレイクとは!という思い込みがほぐれる体験になったのかな、と感じています。


「アイスブレイクの構造」として、どんな視点を持ってアクティビティを組み立てているか、について話をしました。
ちょっとだけ、ご紹介です。

20140525_164915.jpg

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05.14
Wed
プロジェクトアドベンチャーに限らないと思うのですが、「肯定的な言葉」って大切にされています。
言葉に自分の感情とか行動が規定されてしまうことがあって、否定的な言葉のなかにいると、否定的な感情や行動への導線ができてしまうのかもしれません。
また、○○しなかったことを強化するより、○○したということを強化したい、という気持ちもよくわかります。

でも、簡単に言葉を裏返してしまうことに、違和感を感じてしまいます。
「声をかける」ということとと「無視しない」ということは違います。
「肯定する」ということと「否定しない」ということは違います。
「生きたいように生きる」ということと「生きたくないようには生きない」ということとは違うと思うんです。

言葉は入れ物だから、簡単に肯定的な言葉に置き換えようとせずに、その入れ物としての言葉に何が入っているのかをみようと思います。


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05.07
Wed
家までの帰り道、井の頭公園です。

20140507_180122.jpg

東京に出てきて3つめの住まいですが、はじめの家と今の家は、歩いて10分ちょっとの距離にあります。
今の家を探しているとき、ネットを見ていいなと思い電話をすると、2つめの家を担当してくれた人が電話にでるという、奇跡もありました。

いいところに住まいをみつけたなあと、気持ちのいい帰り道でした。

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05.06
Tue
言葉としてのメッセージと、それとは異なるレベルで発せられるメタメッセージのズレは、受けとる人をいら立たせたり不安にさせたりします。はっきりとそう認識できなくても、漠然とした不信感を抱かせてしまうものだと思うのです。

メタメッセージとは、「メッセージについてのメッセージ」とか、「非言語的なメッセージ」などと説明されます。
例えば、大きな失敗をしてしまってそのことを謝りにいったら「私がいろんな人に頭を下げればいいだけだから、大丈夫よ」と言われたとします。言語的なメッセージとしては「大丈夫よ」という励まし。でも、その時のふるまい、言葉のトーンなどから「あなたのせいで、私はいろんな人に頭を下げないといけないのよ」というメッセージについての注意書きとも言えるメタメッセージが同時に発せられる場合があるのです。

そんなに強烈なズレではなくても、PAプログラムの中での自分のふるまいを思い出すと、そのような場面が思い当たってしまいます。
「今の状態がグループにとってどうなのか考えてほしい」と遠回しに今の状態を否定するような言い方をしたり、「正解とか間違いはないから、思ったことを話したらいいよ」と言いながら、自分のほしい言葉ばかりに「うんうん、そうだよねえ」と過剰に承認したり。。。


日常的にも、そのような場面ってたくさんあるはずです。
昔、母親に言われた「好きにしなさい!!」って、絶対好きにはできないですよね。笑


ベイトソンは「ダブルバインド」という考え方によって、精神分裂病(統合失調症)の説明を試みました。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89)

ダブルバインドの例は、とてもわかりやすいものがあったので、お借りします。(以下引用)
頑張って勉強する子供に対して母が「勉強ばっかりして面白みのない子だね」と皮肉る。勉強をやめてピアノを弾き始めたら「親に言われたからって勉強を止めたりしてまったく自主性のない子だね」と言う。母親は子供に対してダブルバインドをしています。(http://okwave.jp/qa/q1057555.html)

ここで言う、ダブルバインドほどの引き裂かれ感はなくても、(言語的な)メッセージとメタメッセージのズレは、お互いの信頼感をじゃますものだと思います。

言語的なメッセージの陰からにじむように、隠しきれない要求や感情的な揺れがメッセージの受けとり手に伝わる。そのときにこわいなあと思うのは、メッセージの出し手と受けとり手がそのことに気づかずに、知らず知らず影響してしまっていることです。


自分のメタメッセージに自覚的にいることって、すごく難しいことです。
だから、いつでも自分のメタメッセージに敏感でいたい。
つい言外ににじませてしまうくらいなら、言葉で伝えてもいい。
「アンディはこうしてほしいんだなあ、って思われるような人でいたくないんだ。」と受けとられるかもしれないメタメッセージを先に言葉で伝えるようなことです。

そしていつか、わざわざ言葉で伝えなくても、言葉(メッセージ)とあり方(メタメッセージ)が自然でシンプルに重なった人になりたいなあと思っています。

とてもとても大切にしていることだから、いい例(失敗例?)があったら、また報告しますね!


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05.05
Mon
プロジェクトアドベンチャーで仕事を初めて一年と少しがたったころ、大切な人から、アンディにと仕事の依頼を受けました。

うれしい気持ちと緊張感に背中を押されながら、いい時間にしたいと事前にいろいろなプログラムを考えました。
新しいことをしたい、鉄板のやり方で安心したいと、いろんな気持ちに引っ張られていたように思います。

そんなときに知ったのが、「一度だけの使用に耐えうる言葉」という一節です。

当時のメモには、鶴見俊輔さんの名前があったので、部屋の本を当たったのですがみつからず…
どなたの言葉かは忘れてしまったのですが、その言葉を知って腹が決まりました。
特別なことではなくて、ぼくと目の前の人との間に浮かぶ、一度だけの言葉を取り扱おう。

新しいメンバーを加えてのキックオフとなるプログラム、当日は前半がアクティビティ中心の課題解決プログラム、後半はそれぞれ2人組になってのダイアログ、という構成になりました。

後半の内容に移るとき、こんな話をしました。
「今から、今の自分につながる印象的な出会いや出来事について、誰かと二人組になって話をしようと思います。
今日のことを考える中で、『一度だけの使用に耐えうる言葉』という一節を知ったんだ。同じ言葉、同じ物語でも、誰に向けて語りかけるかで、その言葉の遣い方も、物語の色合いも変わってくるんだと思う。目の前の人だけに語りかける、一度だけの言葉のやりとりをしてほしい。」


昨日の「ストックフレーズの使いまわし」とも、大きく重なります。
「今この瞬間にしか使えないことば」を話したい。
それは、単純に「同じことを言わない」ということではありません。
難しいことば、奇をてらったことばを使う、ということでもありません。
ただ、「その人に向けたことば」を使うということです。

でも、そうやって頭で考えすぎて、なんか味気ないことばになってしまうこともあるんだよなあ…


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05.04
Sun
ことばが届く人になりたい、と願いながら、つい届かないことばを放ってしまうことがあります。
その一つが、どこがで誰かに届いた(と思っている)ことばや、誰かからもらって気に入っていることばを、そのまま使い回すことです。

毎日のようにいろんな人や、いろんなグループに関わっていると、その時々でいろんなことばを渡します。時に「心にあることが、うまく言葉に載ったなあ」と思うことがあります。そうやって、よくできたフレーズが溜まっていきます。

溜まったストックフレーズは、その時の印象的な記憶とセットになっていて、舌触りも滑らかについ口をついて出てしまうのです。

そんなストックフレーズの組み合わせで目の前の人に語りかけている自分に気づいて、肩をおとすことがあります。そんな時のことばは、流暢で淀みがありません。そのぶん、聞く人の横をすーっと通り抜けて、引っ掛かりがないのだろうと思います。

その時々に、やっとことばになったものは、もっとざらざらしていて、とぎれとぎれのものであるはずです。でも、今目の前にいる人に向けたことば、目の前にいる人と共有していることばは、どんなにとぎれとぎれのものでも、届くものだと思います。

手持ちのストックフレーズの組み合わせだけで、語らないように。
このことは、とても大事にしています。


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05.03
Sat
「声はことばとして意味(メッセージ)を載せるが、同時にそれ自身の肌理をもっている。その肌理が意味とは別なかたちで他者にふれる。」

鷲田清一さんは、声は語りにおいて意味を越えた力を持つ、と言います。

語り言葉と書き言葉の違いを感じることはたくさんありますが、「声」はこの最たるものです。
誰かの声に、心地よかったり悪かったり、安心したり、なんだか落ち着かない気持ちになったりします。それは、強弱とかトーンとか、そういうものではなくて、声そのものの肌ざわりのようなものです。

「ことばが届く人」には、声で触れられているような感覚があります。
こればっかりは、学んだりトレーニングしたりできるようなものではないのだけれど、声には肌ざわりがあって、それは言葉の意味とは別のところで、聞く人に触れるものだということを、知っていようと思います。

臨床とことば―心理学と哲学のあわいに探る臨床の知臨床とことば―心理学と哲学のあわいに探る臨床の知
(2003/02)
河合 隼雄、鷲田 清一 他

商品詳細を見る
  (引用部分はP235)


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05.01
Thu
ことばが届く人になりたい、とつよく思います。

この人に、と一人きりの誰かに伝えることばも、目の前にいる大勢の人に語りかけることばも、どちらもが聞く人に届くような人になりたいと、つよく思います。


仕事がら、初対面の人の、しかも大勢の前で話をすることがあります。
前にたっていつも思うことは、ことばが届くのはたいへんなことだということです。

中学生や高校生の前で話す時には、直接そのことを伝えてしまうこともあります。

「話している人のことばを受け取ることは、とても難しいことだと思うんだ。
みんな、ぼくのこと知らないよね。知らない人のことばだったらなおさら受け取ることは難しい。例えば、信頼していたり、好きだなあと思う人のことばだったら受け取れるかもしれない。もしかしたら、聞いていないと怒られたり、何か損をしてしまうような人のことばだったら、受け取ろうと思うかもしれない。でも、ぼくはそのどちらでもない。だから、今から話すことを受け取ってもらうことは、とても難しいことだと思うのだけれど、みんなに届いてほしいと思って話すから、みんなの受け取る力をかしてほしい。」

文章にしてしまうと、暑苦しい言い方だと少し恥ずかしい気持ちになりますが、ことばが届くということについて思っていることを伝えてから、内容に入るのです。
これは、「プレゼンテーション」の類とはまったくはなれた所にある、ことばが届く人になりたいという願いの語りです。


ことばが届く人になりたい、ということについて思うこと、考えてみたいことを、思いついたままに書き留めておきます。

「声の肌理(きめ)」
「ストックフレーズの使い回し」
「一度だけの使用に耐えうることば」
「自分のメタメッセージに敏感でいること」


明日から、ひとつずつ考えてみます。

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